2019年8月15日木曜日

採血の天使たち

今日もまた天使たちが血を集めに来る。蜜蜂の様に。血は女王蜂の生む子蜂たちの餌となり、新たな天使たちを育むが、女王蜂自身は血を好まず、専らロイヤルゼリーを食す。長生きの為に。���H.Fuchigami�

2019年8月14日水曜日

癌患者最期の楽園

1/2の確率で癌になり、1/3の確率で癌で死ぬのなら、治る見込みのない癌患者が安心して最期を迎えられる様なホスピスが十分に必要だ。特に孤独者には。���H.Fuchigami�

2019年8月12日月曜日

最期の贅沢

人が苦しんで死んで行くのを見るにつけ、自分だけは楽に死にたいと願うものだ。ピンピンころりとポックリ死ねたら世話はない。病院に行ったら最期、願いも虚しく、結構な苦痛を甘受することになる。この国では安楽死は認められていない。���H.Fuchigami�

長生きの刑

今まで死ぬチャンスが数多あったのに悉く好機を逸し百まで生きる人もいる。どうやっても死なないのだ。長生きの刑に処せられたに違いない。長生きも一種の病である。���H.Fuchigami�

2019年8月11日日曜日

端然として遷化

釈尊の悟りとは釈尊の思想体系で諸々の経典を読めばわかる。では、高僧の大悟とは何か?蓋し、釈尊の悟りの自己流の解釈の体系である。臨済は死ぬ時にお前の様な馬鹿が儂の悟りを台無しにするのだと言って、さっさと死んだらしい。見事である。��H.Fuchigami�

2019年8月10日土曜日

不幸中の不幸

人生、上り坂、下り坂、まさか、があるように、不幸中の不幸、もある。胃を切った人が管もとれ、食事もとれるようになり、外出許可が出て自宅に帰って冷や麦を食べ、汗だくになったのでシャワーを浴びたたら、黴菌が入り、翌日には、点滴生活に戻って仕舞った。今までの治療は、元の木阿弥になった。またメスを入れる可能性も仄めかされた様だ。状態をみる為、毎日採血されている。恐るべし。���H.Fuchigami�

2019年8月8日木曜日

死の恐怖?

遠からず死ぬことが確定したら、人は死など恐れはしない。恐れても無駄だからだ。人は変人でもない限り、無駄なことはしない。���H.Fuchigami�

溺れる者は藁にもすがる?

何やら小型のノートにメモがびっしりの人、医師に呼び出だされ新薬の説明を受けたのだとか。私はモルモットです、アハハと明るく自嘲した。死ぬ人には見えない。死ぬ時は、笑顔を忘れるな、てか?��H.Fuchigami�

自らの最期を知る生き物

チンパンジーは人類の最近種だが、彼らは自分たちが死ぬということを知っているだろうか?チンパンジーが死について語ったという話を知らない。しかし、ホモ・サピエンスは、子供でさえ人も死ぬということを知っている。そればかりか、軈て、地球その者も消滅するということを知る。生き残る地球生物など存在しないのだ。人生は徒労に過ぎない。���H.Fuchigami�

2019年8月7日水曜日

放置療法

最も人気のある民間療法。詰まり、何もしない、何も足さない、何も引かない。癌などになっても、切り刻まれたり、薬剤で体を痛めつけられたくないなら、抑、病院に行かないことだ。���H.Fuchigami�

血液の行方

血液を分析すると、大体のことはわかるらしい。従って、病院は採血が好きだ。バンパイアじゃあるまいし。���H.Fuchigami�

2019年8月6日火曜日

死んだ人の歳を数える。

死んだ子の歳を数えるのは無意味だが人情だ。死期が近づくと古今東西の有名人の享年を調べてみたくなる。自分の歳と比べて結構生きたな、とか短すぎるな、とか慰みにするのだ。神々の愛でにし者は夭逝する、と。���H.Fuchigami�

神とは何か?

人知の及ばないことの原因を便宜的に神と呼んでるだけであって、神その者には実体はない。���H.Fuchigami�

神は全能か?

神が全能なら自殺もできる筈である。しかし、神が自殺したという話は聞いたことがない。ひょっとして、神は死ねないのではないか?だとすると、全能ではないことになる。この矛盾を解決する唯一の方法は、抑、神は存在しない、とすることだ。���H.Fuchigami�

残された興味

さて、神がどのように自分を殺すかはわかった。次なる興味は幽体離脱が起きるかどうか、あの世とやらがあるかどうかである。臨死体験を突き抜けて、死の世界へ。���H.Fuchigami�

2019年8月5日月曜日

三途の川

長い遍歴の果て、漸く三途の川の渡し場までやって来ると、順番待ちだった。渡し賃のない者に六文銭を貸す高利貸しまで居て、致せり尽くせりであるが、もう少し生きてみないかと延命を勧める者の誘惑には閉口した。不治の病に幾ばくかの延命にさしたる意味があるのだろうか。���H.Fuchigami�

2019年8月4日日曜日

因果律は近傍に於いてのみ成り立つ。

抑、20万年前にホモ・サピエンスが誕生した時、その原因は何であったかを問うても、突然変異が偶然起こったのだ、としか答えようがないだろう。況してや、地球が何故、ハビタブルゾーンにあるのか?に何の必然性もない。���H.Fuchigami�

地獄は一定の住み処か?

確かに、この世は天国には見えない。ホモ・サピエンスの棲みかは地球である。金星や火星は人類が住めないと意味で地獄である。���H.Fuchigami�

生の苦痛は死を望む。

生きてることに苦痛しかないのなら、死んで楽になりたいと願うのは自然である。���H.Fuchigami�

2019年8月3日土曜日

スキルスは深く静かに進行する。

さしたる自覚症状もなく、吐き気が続くな、と異変に気付いた時には、既に遅し、最早手遅れである。���H.Fuchigami�

2019年8月2日金曜日

スキルスはステルスに近い?

つまり、見付かり難く、発見された時は、転移してることが多く、治すのは不可能である。抗がん剤で延命して5年生存確率7%とか、当に死に至る病だ。���H.Fuchigami�

2019年8月1日木曜日

医者か死神か?

医療の目的は救命と延命である。その科学が医学である。助かる見込みが無くても患者を死ぬに任せる訳にはいかない。患者も死神に任せたいのなら、医者に掛からない方がよかろう。���H.Fuchigami�

座して死を待つこと勿れ。

経験を通じて何かを学ぶことがホモ・サピエンスの本能なら、闘病も意味はある。���H.Fuchigami�

死の苦しみを恐れて、生の苦しみを受ける。

それほどに生への執着は強い。DNAにプログラムされてるのだ。死を超越できる人はいるが、極僅かである。���H.Fuchigami�